まだ視力検査は「右」と言わせている

眼科に行く。2021年最初の診察日だったが、思ったより人がまばらだった。みんな目も休めただろうか。

今日は検査のために瞳が開く目薬をした。看護師さんに目薬をさされ20分くらいかけて徐々に視界がぼやけていき、最終的にプールからあがったばかりの視界になった。面白くもあり、ちょっと怖い。このまま視界が戻らなかったらずっとプール上がりの視界だ。全身がびちょびちょのまま生活する姿が浮かぶ(検査は異常なく、視界もやがて戻った)

それにしても、どれだけテクノロジーが発達しても視力検査は人に「右」と言わせているな、と思う。

目に数秒あててピピピと鳴ったら小さなディスプレイに「0.8」と出る、小さな機械がそろそろ発明されたっていい。でもそんなこともなく、視力検査は計られる人の主観にずっと任されている。適当に言った「右」がうっかり当たることもある。身長を適当に「178cmです」と言ったって認められることはないのに。

いつまでも主観に任されているということは、それなりに理由があるのだろう。目がカメラのレンズだとするならば、レンズは正常なのにセンサー(神経)に異常がある場合もあるだろうし、レンズもセンサーも正常なのにIC(脳)が像を結ばないことだってあるのだろう。

僕らが見ている景色は僕らにしかわからない。主観に任せたままの視力検査がそれを証明している。機械でピピピとわかる日が来たら、それは意識を外から観察できる日が来たときだろう。考えてることがわかっちゃう。それはそれで代償も大きい気がする。

今日は「右」と言ったあと「右〜?」って聞いてくる看護師さんだった。ヒントだ!ラッキー!と、「……上」と言い直したら「下です」という正解発表だった。浮かれた自分が恥ずかしい。でも「ヒントだ!」と浮かれた意識が外から観察されてなくてよかった。