陸上選手になったらスタート前に「ゲッツ!」ってやってしまいそう

テレビで世界陸上をやっている。

100mとか200mの選手が走る前に、カメラが選手ひとりひとりを映す時間がある。わざわざ選手の正面までカメラが行って、何秒か映して、次の選手に行く。映されているあいだ、選手はガッツポーズしたり、カメラを指差したり、映っているのはわかってるけど俺は集中してるからみたいな顔して、それぞれアピールしている。

こういうの、陸上以外であまり見ない気がする。これから本番だというのに、よくアピールする余裕があるなぁ……と思う。だって絶対緊張するでしょう。それまでめっちゃ練習してきて、あんな晴れ舞台に出て、テレビでよその国の知らん人が見てる。そんな状況でアピールできるのも一流選手の証なのだろうか。

逆に自分だったらと思うと怖い。無表情で立っているのも気まずいし、かといって緊張しているのを他の選手に知られたくない。とはいえ「いえ〜い」ってふざけるのも怒られそう。変顔もダメだろう。うっかり「ゲッツ!」とかやってネットニュースになるのも困る。

順番も怖い。自分が8コースにいて、1コースから順々にカメラが回ってくる。あのパターンも、このパターンもみんなやられ尽くしたあとに自分の番が来る。これから走ることに集中したいのに、頭の中は「ゲッツはもうやられちゃったから……」みたいな迷いでいっぱい。なんとかやり過ごしても「やっぱりさっきの違ったな……」って反省しているうちにスタートに出遅れそう。

走る前から勝負は既に始まっている。もうだめだ。あとラヴィット!が1週間お休みなので寂しい。

忍者村の人かと思ったらメルヘン村の人

「忍者村」を運営する会社が、「メルヘン村」を運営する会社を買収したというニュースを見た。

www.asahi.com

佐賀県嬉野市の「佐賀元祖忍者村 肥前夢街道」を運営する株式会社「マール」(光岡勝社長)は13日、武雄市の「森の遊園地 武雄・嬉野メルヘン村」を運営する新肥前観光(竹内亮社長)の株式を7月1日までに100%取得して子会社にすると発表した。

もちろん中身は企業同士の経営のあれやこれやだけども、「忍者村がメルヘン村を買収」という文字だけ見ると、メルヘン村でキャッキャうふふしていたところに、ひっそりと忍びの者が手を回していた、みたいな絵がどうしても浮かんでしまう。ピンク色の世界に墨汁を一滴垂らしたような不穏さがある。

さらに記事にはこうある。

今回の買収後も営業は続ける。メルヘン村の竹内社長は退任し、忍者村の光岡社長が兼務する。メルヘン村の従業員が忍者村で働くなど行き来をして、コスト削減や人材確保につなげるという。

メルヘン村の従業員が忍者村で働くのだ。忍者村の人かと思ったら、その正体はメルヘン村の人なのである。これではどっちが忍者かわからない。

メルヘン村の村民たちの中には、今回の買収に忸怩たるものを感じている人もいるだろう。いずれ忍者村からメルヘン村を取り返そうと、ツインテールを揺らしながら拳を握っているかもしれない。

まずは忍者村の従業員として働き、リサーチを徹底する。人脈を作り、中枢部に食い込むなどして、弱みを探るフェーズがしばらく続くだろう。そこにはメルヘンなど欠片も無い。現実あるのみ。

なおメルヘン村には観覧車やコースターなどがあり、「リスやウサギなど動物と触れ合えるコーナーが人気」だそう。忍者村の資本が入ったら「観覧車から脱出できるようにしろ」「リスに文書を持たせ仲間に届けるコーナーはどうだ」とか提案されるのだろうか。

なんかそれはそれで興味はあるけれども。

「直筆原稿が見つかった」はこれからどうなるのか

たまに「作家の直筆原稿が見つかった」というニュースを見かける。

古い家を整理していたら出てきたとか、蔵を掃除していたら出てきたとか、そんな感じで原稿用紙の束が見つかる。そこには未発表の原稿だったりとか、創作のメモだったりとか、誰々に宛てた手紙とかがあって、その作家がどんな思索の中にあったのかなどが明らかになる。

でもPCで原稿を書くことが主流になった今、どんどんそんな機会はなくなるだろう。直筆原稿なんてないもの。メモが見つかったとしても「この時代からPCで文字を書くことが主流になり、漢字を忘れていく様子がうかがえます」と言われるだろう。

PCに残っていたファイルなんかはすぐ見つかるだろうし、あとになって見つかるものってなんだろう、と考えると、これはクラウドじゃないか。

なんらかの新しいサービスが出る、それはメモを記録したり整理したりするのに便利なやつで、最初はおぉ確かに便利かもと使う。でも段々面倒になって使わなくなる。それを繰り返す。すると、「ちょっとだけ使ったサービス」があちこちに残る。

大作家の死後しばらくして、在野の研究家が「このアカウントはあの先生が使っていたものではないか」と発見する。それをきっかけに、同じアカウント名であちこちのサービスが使われていたことがわかる。

Evernoteに大量のメモが残っていたことが分かり大騒ぎになる。WorkFlowlyであの名作のアウトラインを考えていたのが分かる。違う名前でnoteをしばらく続けていたもののしっくり来てない様子が分かる。Notionにちょっと手を出してやめたのが分かる。

ちなみにTwitterの裏垢はとっくの昔に見つかってスクショが出回っている。たいへんだ。

そういえばワープロで原稿を書いていたころの作家だとどうなるんだろう。「書院のフロッピーディスクが見つかった」とかになるんだろうか。読み込めるといいけど。

シュレディンガーの軽部

めざましテレビ』に、めざましテレビを知らなかった新人アナが新たに加入するというニュースを見た。

なんでも、その新人アナの地元・青森県では『めざましテレビ』が放送されておらず、採用面接の時にはじめて軽部アナの存在を知ったほどだという。番組のチーフプロデューサーは「逆に面白い」と起用したそうだ。「なんでこんなタイミングでジャンケンするんですか?」とか思うだろうか。まるで異世界転生のような人事である。

で、ここで気になったのは「軽部アナの存在を知らなかった」ことだ。

青森県ではフジテレビ系列が映らないらしく、となればフジの局アナを知らないのも仕方ないだろう。ただ、私たちも果たして『めざましテレビ』以外で軽部アナを見るだろうか。見ないんじゃないか。そりゃ知らなくてもしょうがないのではないか。

私たちは『めざましテレビ』を見れば、そこに軽部アナの存在を感じることができる。朝方テレビをつけるまで、軽部アナはこの世に存在しているのかわからないと言い換えてもいいだろう。

つまり、テレビという箱の中の軽部アナは、存在している状態としていない状態が重なりあって存在しているのではないか。

それはまるであの猫のように…と思ったところで「今日のわんこ」と共に『めざましテレビ』は終わり、軽部アナの存在は再び宙に浮く。

鳥人間(らしさを総合的に評価する)コンテスト

今日『鳥人間コンテスト』があったのに見逃してしまった。どへくらい飛んだのだろう。子どものころ見た鳥人間コンテストはまだ「仮装部門」みたいなのがあって、面白い格好で高いところから飛ぶ人たちをしばらく見る時間があったりしたものだけど、今や琵琶湖の端に行って帰ってきて折り返してと異次元の世界である。関空から飛ばせてもらったら小豆島に着くんじゃないだろうか。

それにしても「鳥人間コンテスト」である。字面そのままを受け取れば「いかに鳥人間であるかを競うコンテスト」だろう。となると、テレビの「鳥人間コンテスト」は鳥について「飛ぶ」という一面しか見ていない。「鳥人間らしさ」を競うなら、もっと総合的な評価が必要ではないか。

鳥人間らしさを五角形のレーダーチャートで表すとするなら、「飛距離」は入るだろう。あとは「見た目」も入れておきたい。鳥っぽければ鳥っぽいほどいい。「鳴き声」も入れておこう。内面的な評価軸もほしい。「鳥目」とか。鳥は3歩歩くと忘れるというから「忘れっぽさ」も入れておこうか。

でも本当に忘れっぽい人がコンテスト会場に集ったら大変だ。「なぜ私は鳥の格好をして琵琶湖に…?」ってパニックになるだろう。でもパニックになればなるほど「忘れっぽさ」のポイントが高まっていく。ダントツの忘れっぽさで「鳥人間」の栄誉に輝いた人は、表彰台の上で首を傾げる。それがまた鳥っぽさを誘う。忘れっぽいからまた次の年もエントリーしちゃう。なんなんだこのコンテストは。