甘やかす概念だけ帰省

子どもたちの夏休みもいよいよ大詰め、というか夏休み自体は先週でとっくに終わっており、新型コロナ感染拡大のために8月いっぱい休校になってしまったのだった。夏のロスタイム。

しかしこの夏はほぼ家にいて、去年に引き続き帰省もしなかった。家族全員インドア派なので家時間をエンジョイして暮らしているものの、こんなに夏を持て余すこともない。ちょっとこれは景気づけにイベントを設けようと、「コンビニで好きなものどれだけ買ってもいい大会」を開いた。

客が少ないであろうお昼前、子どもたちと近所のコンビニに行き、食べたいものを片っ端からカゴにインしてよしとした。アイスも生ハムも全部ありである。「コーラ飲みたい」イン!「これ美味しそう」イン!「へぇジョブチューンで紹介されたんだ」イン!

パンパンになったレジ袋を下げて、みんなでウハウハで帰った。楽しかった。しかし考えてみるとこれは、実家に帰ってきた孫にやることではないか。「なんでも買っていいぞ」「お義父さんすいません…」「いいのいいの、たまのことだから」という魂のやりとりが発生するやつではないか。

ということはつまり、「子を甘やかす」ことによって、「孫を甘やかす」という帰省の概念だけを実現できるということだろう。時間も空間もそのままに「甘やかし」だけ帰省させるのだ。毎日好きなおかずを食卓に並べ、イオンでなんでも好きなものひとつ買ってやり、ティッシュに包んでお小遣いを渡すのだ。夏を甘やかす。それはとてもスイートな思い出になることだろう。ウハウハでコンビニから帰ったあの日も思い出になるといい。

ただ難点がひとつあって、帰省の甘やかしは帰宅によって解除されるのだが、家での甘やかしはリセットしにくい。時間も空間も地続きだから「今日も」「今日も」ってなる。寝る時間がだんだん遅くなる。朝起きてこない。明後日は始業式だぞ。おい、おいってば。