10円で買えるものの話

僕の世代で10円で買えるものと言えばチロルチョコで、バレンタインデーにチロルチョコをもらったことがある。祖母から100個入りを。

祖父母の家からちょっと歩いたところにお菓子問屋があったから、散歩で足を伸ばして買ってきたのかもしれない。100個入りってアレである。駄菓子屋の店頭でチロルチョコを売るときの、同じチロルチョコがぎっしり入ったアレ。開封前の箱は直方体で、中にチロルチョコが5個×5個×4段入っている。蓋を真ん中で折り返すと「チロルチョコ」というディスプレイが飛び出すようになっている。もちろん蓋は折り返し、家のリビングでお店に置いてある感じで置いて、毎日ちまちま食べた。嬉しかった。白と黒の包装紙のミルクだったはず。

10円で買えるものも何個も集まると迫力が出る。逆に考えればどんな高価なものでも細かく分ければ10円で買えるものの集合体になるはずだ。たとえば1000万のフェラーリを10円単位に切り刻んだらどれくらいの大きさになるのだろう。チロルチョコより大きいだろうか、小さいのだろうか。

フェラーリだった真っ赤な立方体をかき集めて、箱に詰め直そう。リビングに置いて、毎日ちまちまと1個ずつ取り出し、フェラーリに戻そう。でも1000万円を10円単位に分けるからパーツは100万個になる。100万日かかる。100万日は2740年くらいになる。それくらい続けるには子孫を残し続け、伝承を守ってもらわないといけない。保管のために社みたいな場所もいるだろう。僕が神みたいな存在になっちゃう。どうしよう。というか、そもそも人類は残っているだろうか。

誰もいない地球で赤い立方体が耀く。海が干上がっていて地球は既に青い星ではない。何万光年も先の星から見たそれはキラキラと赤く輝いているかもしれない。でもその輝きひとつには10円の価値しかない。