エレベーターから夕やけTV編集局へ
突然思い出した。
仙台放送 柳沢剛アナウンサー #エレベーターで一緒になったことのある人選手権
— 井上マサキ(INO) (@inomsk) 2017年8月3日
もう20年くらい前、仙台のフォーラスで、タワレコに行こうと乗ったエレベーターで柳沢アナと一緒になったんだった。
当時仙台放送は平日夕方の帯で『夕やけTV編集局』というローカル番組を放送してて、それがフォーラス(というファッションビル)のサテライトスタジオ的なところから公開生放送してたんだった。そのメインMCが柳沢アナウンサーだった。
なんか大食い選手権的なコーナーが始まったとき、地下にある「北京餃子」の広東焼きそば(めっちゃ大盛りで有名)を出したんだけど、放送時間内に誰も食べきれなくて次の週から半分の量になってたんだった。
で、当時は「仙台吉本」があって、夕やけTV編集局が終わったあとライブをやったりしてたんだった。
ハッシュタグひとつでしばらく開けてなかった脳の釜が開いた。柳沢アナの背中は大きかった。いま調べたら柳沢さんは今年の3月で広報に人事異動して「元アナウンサー」になってた。時代は流れる。
石野卓球が言っていた「かっこいいこと」
すごい昔、NHKの「土曜ソリトン SIDE-B」に石野卓球がゲストに出たことがあった。司会が高野寛と緒川たまきである。ざっと検索してみたら1995年6月のこと。20年以上前だ。
細かいトークの内容は全然覚えてないのだけど、一問一答な感じで石野卓球に質問する→短く答える、というコーナーがあった。そのなかでずっと覚えているのが「Q.かっこいいとは?」という質問。
石野卓球の答えは「身の程を知ること」だった。
逆に「Q.かっこわるいことは?」という質問には「身の程を知らないこと」と答えていた。僕は高校の時から電気グルーヴを聞いていたのだけど、音楽誌とかのインタビューは全然読んでなかったし、オールナイトニッポンは眠くて眠くて全然聞けなかったので、音楽以外で石野卓球の言葉に触れることがほとんどなかった。はー石野卓球はこんなこと考えてるんだなぁ、と印象にすごく残っている。
で、今日マクドナルドでポテトを食べたんですね。
マクドナルドで仕事をぼちぼちやってまして、なんか小腹が空いたなぁと思って。そしたらアプリのクーポンでポテトのLが320円→190円だったんですよ。おーこれはと思って、Lを頼んでね、食べたんですよ。
多い。
多かった。全部食べたけど多かった。そうでしょうよ。そろそろそんな年でしょうよ。油もきついでしょうよ。いい加減認めないといけないのでしょうよ。これも身の程を知ることなのだろうな、とお腹をさすりながら、石野卓球の言葉を思い出していた。こうやって身の程からはみ出した分を矯正しながら、実物大身の程に近づけていくのだろうな。
「ちゃんと」言わない保育園
先日取材した保育園は「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」が禁句だった。
いや、別にその保育園が無法地帯なわけではない。着替えが脱ぎっぱなしとか、テーブルの上に缶ビールの空き缶がゴロゴロしてるとか、パスワードを「名前+123」にしてるとか、こたつで寝ていたら一日が終わったとかそういうことではない。
「ちゃんとして」は具体的な指示にならないから使わない、ということらしい。「きちんと着替えて」ではなく「脱いだ服はこのカゴに入れる」、「ちゃんと食べて」ではなく「こぼさないように食べる」など、何をどうしてほしいのか、子どもにちゃんと示すのだそうだ。
「ちゃんと」の裏には「このレベルまでやってほしい」という暗黙の期待がある。言われた側は言われた側で、「ここまでやれば『ちゃんと』だろう」という上限がある。得てしてその上限は期待を超えないので、「ちゃんとしてって言ったじゃない!」と不満に変わってしまう。
もう、全然子供相手の話ではなくて、完全に大人にも当てはまる話である。上司と部下、妻と夫。「ちゃんと」の応酬、壮絶な打ち合いである。大人になると「ちゃんと」の裏にある期待を「空気」という言葉に変え、言わずとも読むことを是としたりしちゃう。平たく言うと知らんがなである。
さらに対人だけでなく、「ちゃんと」は自分自分も縛ることがある。失敗を前に「ちゃんとしないと」と決意を新たにするも、その「ちゃんと」はボンヤリしていて像を結んでいない。具体的な目標がないので、下手をすると何をやっても「ちゃんとできない……」になっちゃう。
「ちゃんと」は、ここまでやれば「ちゃんと」だと、行動なり数字なりで線を引かないといけない。「普通」とかもそうだよなぁ。というわけで、ちゃんと仕事に戻ります……ではなく、今日中に1本原稿を仕上げます……(言っちゃった)
肉が焼けている現場から生中継
週末、カミさんの誕生日がめでたいので家族でご飯を食べに出かけた。行くつもりだったお店が1時間待ちも辞さぬほど混雑していて、正直舐めてましたすいませんでしたというハプニングもありつつ、ステーキハウスに流れ着いた。
席に案内されるまで待っていると、客席にオープンになった厨房で肉がジュウジュウ焼かれているのが見える。時折、滴り落ちた油から火の手があがる。セックスアピールならぬ肉アピールに、入店直後は子どもたちも「肉!」と興奮を隠せない様子だったが、すぐにさっき買ったばかりのMinecraftの攻略本を貪るように読んでた。エレベーターが作れるって!とかTNT爆弾が!とか言ってる。Minecraftは子ども達のほうがすっかり詳しくなって、もう何のゲームかさっぱりわからない。豚にエサをやったりジェットコースターを作ったりしている。なにがなにやらだ。いとうせいこう『ノーライフキング』みたいなことになってる。
で、席に案内され、メニューの焦げ茶色の占有率におののいていると、天井から吊されたモニターが目に入った。
肉が焼かれている。
さっき厨房で焼いてた肉のライブ映像だ。いま座っている客席から厨房は見えないから、「厨房が見えなくて不安かもしれませんが、今もこうして肉を焼いております!」と安心をお届けしてるようだった。大丈夫ですよ知ってますよ。メニューに載っている肉の写真と、天井から生中継される肉の映像。二次元の肉に上下から挟まれていた。
肉に対する自己顕示欲の高さに怯むも、お店の売りなのだからこれくらいは仕方あるまい、とジュウジュウと肉が焼ける音(厨房は見えないけど音はバンバン聞こえる)に耳を傾け、改めてメニューを眺めようとすると、モニタの映像が切り替わった。
サラダバーのライブ映像だった。
確かに、確かにこの店のサラダバーはすごかった。種類がめちゃめちゃ豊富な上に、ティラミスや生八つ橋まであった。サラダとはなにかという概念も壊れた。だが落ち着いてほしい。肉と野菜が頭上で交互に現れるのだ。知らない人がナスの揚げ浸しを取り分けていたりするのだ。落ち着いてほしい。これから食べる。食べるから。
このままドリンクバーでコーラとカルピスを混ぜている客や、レジでおつりを数えている店員や、料理を待っている僕の姿までうっかり映るかと思った。ちなみにコーラとカルピスを混ぜていたのはうちの小1息子だ。美味しいの?と聞いたら「あまい!」とニッコリ笑っていた。よかったね。