『ハナタカ!』がきっかけで空になった投票箱を見た

7月10日。参議院選挙の投票日。早朝6時半に投票所の前に並んでいた。眠い。

きっかけは1週間前。7月3日放送の『くりぃむしちゅーのハナタカ!優越館』テレビ朝日系列 毎週日曜18:57~)だった。いわゆるトリビア系の番組で、事前にアンケートをとり「日本人の3割しか知らないこと」だけを紹介している。さすが3割だけあって、けっこう「へー」率が高い。あと、VTRに出てくる役者の人がなんか素人っぽい。『ど~なってるの!?』の再現VTRを思い出す素人感がある。

普段、日曜夜は鉄腕DASH!→世界の果てまでイッテQ!の、日テレ王道パターンを観ているのだけど、なぜか息子5歳が『ハナタカ!』の予告スポットを見て「これ録画して!」と頼んできたのだった。息子5歳は年齢の割にテレビの趣味が渋い。旅番組が好きで『もしもツアーズ』の録画を頼まれることもある。美味しそうな食事と豪華なホテルが好きなのだそうで、最近までは『極上!旅のススメ』も観ていたのだけど、この4月から芸能人ゆかりの地を訪ねるようになって興味が無くなってしまった。この前は『ガッテン!』の糖質制限特集まで観ていた。あいつテレビに関しては僕と同じかそれ以上なんではないか。

で、その日の『ハナタカ!』は選挙のハナタカを紹介していた。その中の一つが「投票所に一番最初に投票に行くと、投票箱の中を見ることができる」というもの。

投票開始時点で本当に投票箱が空かどうか。不正防止のため、選挙管理委員会だけでなく投票に一番最初に来た人も一緒になって、投票箱の中身を改めることになっている。

これを見た子供たち「行きたい!」と言う。投票箱が空か確かめたいと言う。電波少年風に言うなら「投票箱が空かどうか、確かめ、たい~!」な感じで言う。

一番になんて行ったことが無い。日曜の朝である。投票開始は朝の7時から。近所のお年寄りとかすごい早起きして並んでるんじゃないか。いつ行ったら勝てるんだ。6時か。5時か。そんなに?

「朝早いからヤダ」「めんどくさい」「自分が投票するときになったら並んだら」など断ってもいい。でも、ここは乗った。おもしろそうじゃないか。テレビで得た知識を実際に現地で確かめようというのである。自分の目で確かめるのは大事だ。パパもアザラシのタマちゃんが多摩川に来た時は観に行ったことがあるぞ。タマちゃんはいないし人は多いし便乗している売店はあるし、全然目的は達成できなかったけど、その現場の空気を吸ったのはやはり思い出に残る。投票箱の思い出を残してやろうではないか。なんだ早起きくらい。5時か?6時か?いややっぱり早くないか。

あまり早く行きすぎても、ただ並んでるだけでは子供は退屈してしまうので、6時半到着に設定。土曜夜になって娘9歳は「どっちでもいい……」と言い出すが、いいから行くんだ。

そして当日。7月10日日曜日。朝の6時半。投票所には誰も並んでいなかった。おぉ、一番だ。7時5分前くらいになって2番目3番目の人が現れる。投票箱目当てで並んでいるのはうちの家族だけのよう。気合を入れすぎた。待ちくたびれた息子5歳はパパのスマホで「妖怪ウオッチぷにぷに」を初めている。

7時。投票所がオープン。受け付けを済ませると、「一番の方には投票箱の中を見てもらうので……」と係の人。見ます見ます。子供たちもかぶりつきで投票箱を見る。パカっとオープンした投票箱は確かに空。「いいですか?」との声にうなずく。蓋を閉めてガチャリと南京錠をかけるところで子供たちは「おぉ~」と歓声をあげた。このあと3つ数えて再び投票箱を開けたら美女が出てくるのではないか。そんなマジックが起きそうだった。

選挙区、比例区と2つの投票箱が空になってることを確かめ、投票を済ませる。「見たね!」「見たね!」と大人も子供も興奮して投票所を後にした。早起きしてよかった。ええもん見た。でもどうしても眠くて大人は二度寝した。

その日の夜。『鉄腕DASH!』では、ダッシュ島でTOKIOが投石器を作っていた。国民が一票を投じたその夜に、TOKIOは2kgの石を50m先に投じていた。子供たちが「これやりたい!」って言ったらどうしよう、やっぱりやらせたほうがいいのかな……と心配してしまった。

『スカッとジャパン』で試される自分の寛容さ

最近『スカッとジャパン』を観るのがツラい。

視聴者が体験した「スカッとする話」を再現VTRで紹介するこの番組。「自称・ポスト水戸黄門」を掲げスタートし、イヤミ課長(木下ほうか)や、りなっしー(中村静香)など人気キャラも定着してきた。子供たちも好きで、データ放送の「ムカッと」と「スカッと」のボタンを毎週カチカチカチカチ押している。

ところが最近「悪事」と「スカッと」のバランスが取れないと思う回があるのだ。

 

こんな回があった。

 

舞台はとある会社。ある部署に新人が配属されてきた。とても優秀で仕事もできる。ところが課長(木下ほうか)は面白くないのか、なにか理由をつけては「反省文」を書かせてくる。ミスをしたら反省文。成果をあげてもケチをつけて反省文。毎日毎日反省文。最初は頑張っていた新人君だが、心が折れてしまい会社を辞めてしまう。

しばらく経ったころ。社内で点いていたテレビで街頭インタビューをやっている。そこにたまたま通りかかったスーツ姿の新人君がインタビュアーに捕まった。社内では、おっあいつだ!、とテレビに注目する。課長も部長もいる。インタビューは「最近あった嫌なこと」みたいなお題。新人君が苦々しく吐き出す。

「最近辞めた会社で、パワハラにあったんです……」

事情を知る社内の人間が一斉に課長を見る。部長がそれに気が付き「あの反省文の多さはそういうことだったのか!」「うちの会社の評判を貶める気か!」と課長を怒鳴りつける。課長はヒー!と半泣きで職場から退散する。最後に社員のナレーションが入る。

「こうして、課長は反省文を書かせることがなくなりました」

 

いやいやいや!

 

全然スカッとしないじゃないか。パワハラで若手社員を辞めさせているのである。「コラッ!」くらいの程度で終わっていいのか。しかるべき報いを受けなくてはいけないんではないか。もう(コンプラ)して(コンプラ)しないと気が済まないんではないか。

……と、イライラしていたのだけど、どうもこれは違う気がしてきている。スカッとするかしないのかというより、自分の寛容さを試されている気がしてきたのだ。 

 

僕はどうも「自分が犯した罪は二度と許されない」と思う節がある。なんらかの過ちを犯して、謝罪して反省して、相手からは許してもらえても、何年か経ってから「あの時さぁ……」と振り返られると「(許されてない!)」とビクッ!とすることがある。じゃぁどうしたら許されると思うか、と考えるのだけど、自分でもわからない。誰かの記憶に残っている限り罪が消えないと思ってしまう。

ということは、逆に僕は誰かを許すことができているのだろうか?過去にあった嫌なことを思い出すたび、その人のことは許していないのだろうか?どうしたらその人のことを「許す」状態になるのだろうか?

 『スカッとジャパン』でスカッとするかしないのか。それは誰かを許す/許さないの基準を映し出しているのではないか。どうも自分は誰かを許すのが苦手なようなのだ。『スカッとジャパン』は自分の寛容さをあぶり出す。

 

最近『スカッとジャパン』を観るのがツラい。