「直筆原稿が見つかった」はこれからどうなるのか

たまに「作家の直筆原稿が見つかった」というニュースを見かける。

古い家を整理していたら出てきたとか、蔵を掃除していたら出てきたとか、そんな感じで原稿用紙の束が見つかる。そこには未発表の原稿だったりとか、創作のメモだったりとか、誰々に宛てた手紙とかがあって、その作家がどんな思索の中にあったのかなどが明らかになる。

でもPCで原稿を書くことが主流になった今、どんどんそんな機会はなくなるだろう。直筆原稿なんてないもの。メモが見つかったとしても「この時代からPCで文字を書くことが主流になり、漢字を忘れていく様子がうかがえます」と言われるだろう。

PCに残っていたファイルなんかはすぐ見つかるだろうし、あとになって見つかるものってなんだろう、と考えると、これはクラウドじゃないか。

なんらかの新しいサービスが出る、それはメモを記録したり整理したりするのに便利なやつで、最初はおぉ確かに便利かもと使う。でも段々面倒になって使わなくなる。それを繰り返す。すると、「ちょっとだけ使ったサービス」があちこちに残る。

大作家の死後しばらくして、在野の研究家が「このアカウントはあの先生が使っていたものではないか」と発見する。それをきっかけに、同じアカウント名であちこちのサービスが使われていたことがわかる。

Evernoteに大量のメモが残っていたことが分かり大騒ぎになる。WorkFlowlyであの名作のアウトラインを考えていたのが分かる。違う名前でnoteをしばらく続けていたもののしっくり来てない様子が分かる。Notionにちょっと手を出してやめたのが分かる。

ちなみにTwitterの裏垢はとっくの昔に見つかってスクショが出回っている。たいへんだ。

そういえばワープロで原稿を書いていたころの作家だとどうなるんだろう。「書院のフロッピーディスクが見つかった」とかになるんだろうか。読み込めるといいけど。