大人になるとは失うことなのか

松屋のごろごろチキンカレーですよ。

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ネットで噂になっていたやつを食べました。感動して二日続けて食べてしまった。本当にチキンがごろごろと入ってる。カレーとの調和も抜群で、世の中にこんなに旨いものが….ぐらいの大きな主語でありがたがってしまった。

 

思えばちょっと前、ジョナサンで夕飯を食べた時、タンドリーチキンのなんとかライスというやつを頼んで食べたのだった。

メニューでは皿を覆うほどのチキンがジューシーに横たわっていたが、まぁそんなこともあるまい、わたしは詳しいんだ、と、お腹が空いてたのでライスを大盛りにした。料理が来た。

ホントにあの大きさだった。

動揺した。ホントだ…ホントにあの大きさのチキン…! 食べ応えは十分で、そのスパイシーさに食は進み、大盛りでも普通に食べた。あれも旨かった…。

 

それしても、である。冷静になってみれば、どちらもメニュー通りのものが来ただけなのだ。

メニューの写真に載っている通りのものが、現実のものとなって運ばれてきた。当たり前のことじゃないか。当たり前のことなのに、これだけで感動してしまう自分がいる。

自分は余程裏切られてきたのだろう。こんな厚さのハンバーガーは出てこない。CMのあともまだまだ続かない。ノーバン始球式にパンツは関係ない。いい意味でおじさんですねはいい意味じゃない。

期待して裏切られ、それですっかりわかった顔をしていた。それが大人になるということなら、得たものより失ったものが多いだろう。大人になるということは、失うことなのか。それが大人か。

期間限定メニューである松屋のごろごろチキンカレーは、このゴールデンウィークで姿を消すかもしれないという。本当のことなのだろう。本当にごろごろとチキンを入れてくれた松屋が言うならそうなのだろう。でもこれだけは、これだけは裏切られても構わないと思った。どうか常に松屋で真実とは何かを教える存在であってほしい。