思えば育児は突然の卒業を繰り返す

ちょっと前にインタビューを受けました。

news.yahoo.co.jp

家事育児とライターの両立、ということでお話いただきまして。大変僭越ながら……と姿勢低く臨んだ次第でした。子どもたちはこの春から小2と小6。毎日保育園の送り迎えをしていた頃に比べたらだいぶ楽になった(ただし、保育園まで歩かなくなったため運動不足はさらに加速)

で、記事中に「娘のポニーテールを結っている」という記述があるのだけど、このタスクが最近無くなったのだった。小6娘がひとりでポニーテールを結えるようになったから。特に「今日からひとりでやるから」と宣言したわけでなく、「あ、できるわ」となった。となればもう僕の出番はない。

卒業である。

保育園に通っているころから、娘の髪を結うのは僕のタスクだった。それが突然の卒業である。何年もレギュラーとして頑張っていたのに最終日に挨拶だけでするっと卒業してしまう王様のブランチのレポーターみたいである。ちょっと違うか。

思えば育児は突然の卒業の繰り返しだ。

かまり立ちしてるなと思ってたら急に歩き出したり、食事の時に前掛けがいらなくなったり、「ひとりで寝てみる」と別の部屋で寝始めたり、支えなくても自転車をこぎ出せるようになったり、手を借りずに頭を洗えるようになったり、麦茶を一人で注げるようになったり。

できることが増える瞬間は突然で、親はそのたび小さな卒業に立ち会う。

そういえば最近外を歩くときに手を繋いでないなと、知らないうちに卒業していることもある。急に空っぽになった場所にちょっと驚いて、ちょっと寂しくなったりするけど、これも成長である。これも成長だと言い聞かせて毎日は続く。

でもそろそろ小2息子は勉強してるとき鉛筆をガリガリかじるのから卒業してほしい。ちょっとほっといたら筆箱の中の鉛筆がもはや木材に姿を変えていた。ビーバーか。こういうのに限って卒業が長引く。思い通りにいかない。