「信じる」のピースをかきあつめて

『健康を食い物にするメディアたち』を読みました。

 WELQ問題の火付け役、朽木さんの著書。ネットのみならずメディア全般にはびこる「医療デマ」を無くそうと、その現状や騙されない考え方などを教えてくれる(「はじめに」がBuzzFeedで、内容の一部抜粋が東洋経済で読めます)

医学部出身の確かな医療知識と、SEOなどのネット知識を併せ持つ朽木さんしかできない、その内容は他のレビューに譲るとして……

僕が読みながらずっと気になっていたのは、「朽木さんのことを知らない人は、ここに書いてあることを信じてくれるのだろうか?」ということだった。

WELQ問題が起こったころから経緯を見ていた僕は、朽木さんが誠心誠意この問題を追いかけていたこと、BuzzFeedに移ってからも精力的に取材記事を書かれていたことを知っている。でも、ネットもほとんど見ていない人は「WELQ?」というリアクションだろう。

その健康情報は医療デマですと科学的に論拠を積み重ねても、例えばその健康情報(デマ)を唱える医者が「医者の私とネットの記者と、どちらを信じるんですか?」と問いかけたら、「ですよねぇ」となびいてしまう人もいるんじゃないだろうかと。

それはとても怖くて、無力感も覚える光景だな……と感じながら読み進めていた。

 

でもこの本は、「信じること」についても筆を割いていた。第4章「それでも私たちは、「医療デマ」に巻き込まれる」。東京工業大学の西田良介氏に話を聞く。

ジャーナリズムの生命線は「信頼できる」ことに加え「信頼できると思われること」であること。しかし、メディアの信頼度は下がっていること。そんな時代に信頼性を担保させる手段のひとつは、メディアがお互いを相互に監視すること。さまざまな目線が交錯するネットは、まさにこの「相互監視」の形にあること。

つまり、自分たちが声をあげることが、「信じる」のピースのひとつになる、と僕は受け取った。

 

世の人々は、科学的な事柄なら全て受け入れてくれる人ばかりではない。以前、3.11関連で福島に取材に行ったとき、未だに漁業や農業に風評被害があることを知った。安全と言われても安心できない。説得はされても納得はしない。人間は科学的・非科学的の2進法じゃなくて、その中間を行き来し、信じたいものを信じてしまう。

非科学的だから悪、と決めつければ、溝は深まるばかり。科学的・非科学的のグレーゾーンの存在を認めた上で、科学的なほうを「信じたいもの」に誘導できれば……。理想論なのかもしれないけど、そこに近づく一歩が声をあげることであり、本書でも提案されている「#情報のリレー」というハッシュタグなのだと思う。 

信頼は一日では築けない。長い年月がかかるはず。「信じる」のピースのひとつとして、微力ながら応援しています。