「ちゃんと」言わない保育園

先日取材した保育園は「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」が禁句だった。

いや、別にその保育園が無法地帯なわけではない。着替えが脱ぎっぱなしとか、テーブルの上に缶ビールの空き缶がゴロゴロしてるとか、パスワードを「名前+123」にしてるとか、こたつで寝ていたら一日が終わったとかそういうことではない。

「ちゃんとして」は具体的な指示にならないから使わない、ということらしい。「きちんと着替えて」ではなく「脱いだ服はこのカゴに入れる」、「ちゃんと食べて」ではなく「こぼさないように食べる」など、何をどうしてほしいのか、子どもにちゃんと示すのだそうだ。

「ちゃんと」の裏には「このレベルまでやってほしい」という暗黙の期待がある。言われた側は言われた側で、「ここまでやれば『ちゃんと』だろう」という上限がある。得てしてその上限は期待を超えないので、「ちゃんとしてって言ったじゃない!」と不満に変わってしまう。

もう、全然子供相手の話ではなくて、完全に大人にも当てはまる話である。上司と部下、妻と夫。「ちゃんと」の応酬、壮絶な打ち合いである。大人になると「ちゃんと」の裏にある期待を「空気」という言葉に変え、言わずとも読むことを是としたりしちゃう。平たく言うと知らんがなである。

さらに対人だけでなく、「ちゃんと」は自分自分も縛ることがある。失敗を前に「ちゃんとしないと」と決意を新たにするも、その「ちゃんと」はボンヤリしていて像を結んでいない。具体的な目標がないので、下手をすると何をやっても「ちゃんとできない……」になっちゃう。

「ちゃんと」は、ここまでやれば「ちゃんと」だと、行動なり数字なりで線を引かないといけない。「普通」とかもそうだよなぁ。というわけで、ちゃんと仕事に戻ります……ではなく、今日中に1本原稿を仕上げます……(言っちゃった)