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「人間の感情は相対評価ではなく絶対評価だ」

週刊文春(2月9日号)で、朝井リョウさんが『勉強できる子 卑屈化社会』の書評を書いていました。

勉強できる子 卑屈化社会

勉強できる子 卑屈化社会

 

『勉強できる子 卑屈化社会』は、「勉強できる子」が感じる生きづらさを書いていて、もう首ガクガクでうなずきながら読んだのでした。この本のいいところは、「勉強できる子リスペクト&運動できる子ディス」に終わること無く、両者とも「才能を伸ばした人」という点で平等に評価しようとするところ。

「勉強できる子」というのは、やっかみの対象になりやすい。運動できる子に比べて、勉強できる「くせに」とか、勉強できる「んだからいいだろ」とか言われて、勉強できるゆえの生きづらさは理解されにくい。朝井さんの書評では「あることができるゆえの悩みなんて贅沢と言われそうだが」と前置いて、「人間の感情は相対評価ではなく絶対評価だ」と続く。

「こちらの立場のほうが辛い」「こちらの立場で悩んでいる人のほうが多い」なんて比較は意味がない。悩んでいるその人が辛いと感じたら、それは百%、きちんと辛いのだ。そんな真っ当な主張さえ許されないような場所に佇む人に、この本は優しく寄り添う。

子供の頃、転んで怪我をしたときに、大人に「これくらいの怪我は怪我じゃない」と言われるのが嫌だった。自分にとっては怪我なのだ。痛いのだ。怪我じゃないなら滲んでいるこの血はなんなのだ。もっとすごい怪我を経験しているからといって、小さな怪我が帳消しになることはないじゃないか。

怪我を怪我だと認め、優しく寄り添うことができたなら、世の中の諍いってずいぶん減る。「感情は絶対評価」、リピート・アフター・ミー、「感情は絶対評価」。辛いものは辛いのだ。

 

ちなみに以前書いた『勉強できる子 卑屈化社会』の感想はこちら。数学教師に挑発された話から始まってます(LINE BLOGに書いてたんですけどこっちに移しました)

unotv.hatenablog.com