勉強ができる、すごい。それでいいじゃないですか。

数学教師に挑発されたことがある。

中学の頃、クラスで一番成績がよかった。だからなのかそうじゃないのか、その数学教師からはちょいちょい目をつけられていた。彼女は全体的に皮肉屋で、口は悪いけど本当はいい人、というキャラになりたいようだったが、口の悪さのウェイトが群を抜いており、その狙いは成功しているとは言いがたかった。

ある日のこと。図形の角度を求める問題が黒板に書かれ、僕とは別の男子が指名されて前に出た。彼も成績優秀なグループにいたが、答えはわからず黒板の前で立ち往生していた。僕は一番前の席で彼が苦しむのを見ながら、自分も答えがわからず考えていた。補助線を引いてもはっきり求められない。どう解くんだあれ。

しかし、彼女は僕が「黒板の前で立ち往生している人を見て見ぬ振りしているヤツ」ととらえた。横目で僕を見ながら「あ~あ~、わからなくて困っている人がいるなぁ~」「誰かに助けてもらえたらなぁ~」「見捨てるなんてひどいなぁ~」と、クラス全員の前でチクチク攻めた。

チクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチク

「ぅっせーな!!!じゃぁやるよ!!!」

後にも先にも教師に切れたのはこの時だけのはずだ。生徒に嫌われていた数学教師に、勉強できるやつがキレた。突然起きた事件にクラスは盛り上がった。彼女を睨みながら黒板の前に出て、困っている彼と交代した。

わからなかった。

全然わからない。わからない。あれだけ啖呵を切ったのに、結局黒板の前で立ち往生するしかない。クラスメイトから「わかんないのかよ~」「かっこわる~」という声が飛ぶ。教師はニヤニヤしながら何も言わずに見ている。地獄だった。情けなくて仕方なかった。消えて無くなりたかった。挑発に乗るなんて本当に愚かなことをした。席に戻るよう言われ退散し、解説を聞いた。その内容はあまり納得のいくものではなかった。

下校後、家で必死に証明を考えた。後日、次の数学の授業のときに申し出て黒板に証明を板書した。それは教師が観念的に説明した内容よりも長大なものになった。自分以外にとってはどうでもよい内容だったはずだ。でも書かずにはいられなかった。わからないのにわかるはずと決めつけられたのなら、わかること証明しないと先に進めなかった。あの理不尽さ、悔しさは今でも忘れない。

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ちゃんとした感想を書きたいなぁと思いながら年末になってしまった。前川ヤスタカさんの『勉強できる子 卑屈化社会』。

勉強できる子 卑屈化社会

勉強できる子 卑屈化社会

 

中学高校と、いちおうその、「勉強できる子」だったので、序盤に並べられている「勉強できる子あるある」は本当に首をガクガクさせてうなずくばかりだった。運動できる子は胸をはって自慢できるのに、勉強できる子は自慢すると叩かれる。なぜか勉強できてすみません的なポジションにならざるをえないのだ。さっき無意識で「いちおうその」って入れてしまったけど、このちょっと自分を卑下する感じがまさにそれじゃないか。うっかり書いちゃってた。

勉強できても女子にモテるわけじゃないし、先生に好かれるとも限らない。あげく「勉強だけできてもろくな大人になれない」とか言われるし、テレビではガリ勉は損な役回りばかりで、元ヤンの方が持ち上げられたりする。「変人」とか「紙一重」とか言われる。なんなのだ。なにも迷惑かけてないのに。

と、強い怒りをもって運動できる子などを糾弾する……という本ではないのが白眉。後半に筆を割かれているのは「共存」だ。

勉強できることがうしろめたくなるのはなぜなのか。その背景を探り、メディアが描くネガティブな勉強できる子イメージを浮かばせる。その上で、勉強できる子の立ち回り方を振り返り、処世術を提案する。スポーツできる子に対してマウンティングをするわけじゃない。周りの大人たちもメディアも、スポーツできる子も勉強できる子も平等に褒めればいいじゃないかと主張する。

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スポーツができる。すごい。
絵が上手。すごい。
歌がうまい。すごい。
かわいい。すごい。
おしゃれ。すごい。
勉強できる。すごい。
それでいいじゃないですか。
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自分に無いものを持っている人を褒める。すごいなぁと思う。ただそれだけの話なのだ。

かつて勉強ができた大人たちも、できなかった大人たちも読んでほしいし、いま勉強できることで孤立している子供にも伝えたい。あと、大人たちの挑発には乗らないほうがいいことも。

 

勉強できる子 卑屈化社会

勉強できる子 卑屈化社会